確かな技で世界を変える
“ものづくり”で挑戦を続ける長野県

山々に囲まれた地から世界へ 長野県のものづくり精神
四方を山々に囲まれた長野県。厳しい気候や特有の地形の中での営みを維持していくため、人々は真面目に働き、知恵を身に付け、工夫を凝らし物事に取り組む気質が育まれていった。
そして、開国と明治維新を経て日本が近代国家への歩みを進める中、長野県はその近代化の推進役を担うこととなった。海がない=世界とつながる港湾を持たない長野県がなぜ、世界経済の中で重要な役割を担ったのか―。それは、長野県のものづくりに、人々の勤勉性と創造性が育んだ確かな技があったからである。

世界とつながった生糸産業(蚕糸業)の中心地
明治政府が「富国強兵」「殖産興業」を掲げる中、日本は貿易立国へと歩み出した。その最大の輸出品となったのが生糸である。長野県はその中心的な生産地として大きな存在感を示し、製糸業で栄えた岡谷は「糸都(しと)」、良質な蚕種を生み出す上田は「蚕都(さんと)」として、国内外に知られる地となった。
岡谷を含む諏訪地域が国内最大の製糸工場の集積地になった大きな理由の一つが、この地の技術者により画期的な生産機械が開発されたことである。1875(明治8)年、仲間とともに製糸会社を立ち上げた武居代次郎(1838~1896年)が開発した「諏訪式繰糸機」は、イタリア式とフランス式の繰糸機の良い部分を組み合わせ、廉価で実用的にした機械であった。瞬く間に普及し、良質な生糸を工場で大量生産する体制が整っていった。

内陸特性と精緻な技術で「東洋のスイス」に
1929(昭和4)年、世界恐慌により生糸産業も大きな打撃を受ける。その後さらに戦時体制への移行が進み、県内の製糸工場は軍需に転用されるなど、急速な転換を迫られることになった。
そのような苦難の中でも、長野県の人々の勤勉性と創造性が新しい道を拓いていく。生糸産業で用いられた設備や技術、人材の育成の仕組みなどのレガシーを軸に、戦時下に疎開してきた企業の技術を取り入れて、時計、カメラ、オルゴールといった精密機械工業が発展していった。
ものづくりの息を吹き返した諏訪地域は、いつしか「東洋のスイス」と呼ばれるようになった。内陸の寒冷な気候、湿度が低く塵の少ない清浄な空気、実直な職人たち―。そんな状況が、世界で評価される高級腕時計の生産地にとてもよく似ていたからだ。
そして1969(昭和44)年、この地で世界初のクオーツ式腕時計が開発された。高い精度を実現したこの技術は時計産業に大きな変革をもたらし、長野県のものづくりの技術力を世界に示した。

ハイテク製品に宿る長野県の技
時代が高度経済成長期から情報化社会へと移り変わる中で、長野県の産業はさらなる変貌を遂げる。現在、電子部品・デバイス・電子回路出荷額が全国4位、顕微鏡・拡大鏡、カメラ用レンズ、パーソナルコンピュータの出荷額でそれぞれ全国1位を誇っている。
現代社会に欠かせないスマートフォンをはじめ、自動車、産業用ロボット、さらには人工衛星に至るまで、世界中で使われているハイテク製品の心臓部には、長野県企業の技術が息づいているといっても過言ではない。目に見えないほど小さな電子部品や、1000分の1ミリの誤差も許さない超精密金型などは、かつての時計づくりで磨かれた「小型化・精密化」の技術が昇華した姿と言える。

食の分野では、多品種・高品質を実現
長野県が誇る果樹栽培も桑栽培が礎となっている。桑から転換していく際、県全体で単一の品目を栽培するのではなく、各地域の気候や土壌の特性にあわせ、りんご、ぶどう、もも、なし、柿、プルーンなど多彩な品目を育成し、それぞれ高い品質を実現している。開発の面でも不断の研究により「シナノゴールド」や「クイーンルージュⓇ」など、国内外から注目を集める県オリジナル品種が多数誕生してきた。
また、信州味噌が全国ブランドとなった背景にも、蚕糸業が大きく関わっている。製糸工場では、多くの工女たちの食事を支えるために大量の味噌が仕込まれていた。関東大震災で救援物資となったのを機に東京で評価を高め、世界恐慌後には製糸業から味噌醸造業へ転じる動きも進み、全国一位の生産量を誇る産業へと発展を遂げていったのである。
そのほか、ワイン、日本酒、凍り豆腐、寒天などの加工食品の分野で、伝統の中からさまざまな革新が生まれ、多くの産品が国内外で高い存在感を示している。厳しい自然環境や時代の変化と向き合い、それを活かす。食の分野でも長野県のものづくりの真骨頂を見ることができる。

産・学・官の連携が開く新たな可能性
長野県のものづくりの強みは、個々の事業者の技術力に限らない。企業同士、あるいは企業と大学・研究機関、さらには行政機関が結びつき、新たなイノベーションを生み出す「連携の力」が、次の時代を切り開いていく。
2002(平成14)年に始まった「諏訪圏工業メッセ」は、それを象徴する取組だ。県内企業・団体が集い、最新技術を発信するとともに、新たな連携や協業を生み出す「共創のプラットフォーム」として発展してきた。個々の事業者のみでは困難なことであっても、地域のネットワークで実現する―その層の厚さこそが、長野県のものづくりの大きな強みとなっている。
長野県では、地域ごとに特色ある産業が集積しており、精密加工や電子部品、自動車関連産業をはじめ、加工食品や木材関連産業など、地域の風土や伝統技術を生かしたものづくりが展開されている。こうした地域の強みを生かしながら、企業、大学・研究機関、行政が連携する取り組みが各地で展開されており、新たな技術や製品の開発につながっている。また、こうした産学官連携は、次世代を担う技術者の育成にも大きく貢献している。

新たな価値を創る力
長野県の産業界は、近代の歴史の中で大きく、しかも急激な状況の変化による危機にさらされながらも、それに負けることなく常に挑戦を続けてきた。生糸から精密機械・果樹栽培へ、そして先端技術を活用した新たな産業へ。仕事のスタイルや内容は変わっても、その根底に流れる、確かな術で暮らしを、世の中を良くしていきたいという思いは変わっていない。
現在、デジタル・トランスフォーメーション(DX)やグリーン・トランスフォーメーション(GX)といった大きな転換期のさなかにある。長野県の技術は、医療機器や環境・エネルギーといった分野にも活躍の場を広げ、利便性の追求にとどまらず、社会課題の解決という豊かさの実現に向けて、新たな価値を創造し続けている。この複雑な時代にも、長野県の人々が持つ勤勉性と創造性が生み出す技は、新たな活路を見いだしていくはずだ。




