長野県150周年

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みんなに居場所と出番をつくる

互いを認め支え合う長野県

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互いを認め支え合う長野県

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受け継がれてきた人間尊重の精神

険しい山々に囲まれ豊かな自然を持つ長野県は、同時に厳しい環境と向き合ってきた地域でもある。制約の多い環境、限られた資源の中で、人々がよりよく生きていくためには、個々人、そしてコミュニティの力を高めていく必要があった。長野県では、そんな歴史の積み重ねの中で「人こそが最大の財産である」という、人間尊重の精神が育まれてきたといえる。
多くの人々の心の拠り所となっている善光寺は、人間尊重の精神を象徴する存在と見ることもできる。古くから宗派を問わず、また当時の仏教では救われにくいとされた女性にも門戸を開き、老若男女、身分の隔てなくあらゆる人々を受け入れてきた。人を大切にし「誰も置き去りにしない」という慈愛の姿勢は、近代以降、女性や障がいのある人たちにも社会の中に居場所と出番がある社会を形づくる土壌の一つとなり、現在へと受け継がれている。

製糸業を通じ近代化を支えた女性たち

1873(明治6)年、旧松代藩士の娘・横田(和田)英(1857~1929年)らが官営富岡製糸場で学んだ技術を持ち帰ったことにより、諏訪・岡谷を中心に製糸業が急速な発展を遂げた。製糸工場で働く女性たちは、単なる労働者ではなく、最新の技術を扱う技術者、そして家計を支える担い手となって、地域の近代化に大きな役割を果たしていた。
一方で日本全体としては、1898年(明治31年)施行の旧民法(明治民法)において家父長制が法制度として確立されるなど、成人男性が強い権限を持ち女性や子どもが従うという社会規範がさらに強化されていった時代である。女性の労働環境は決して恵まれたものばかりではなく、過酷な状況にさらされることもあり、社会全体の中で女性がその個性や能力を発揮できるようになるには、まだ時間を要する状況にあった。

地域に息づく「結(ゆい)の精神」

長野県が蚕糸王国と称され、日本経済を牽引する存在となった背景には女性たちの活躍があったことに加え、コミュニティの特性もあった。地域内の人々が協力し合う習慣が、原料の供給、物流、役割分担、人材確保に大きく寄与したのである。このように人と人とが補い合いながら生きていく「結(ゆい)」と呼ばれる相互扶助の精神は、日本の各地に見られるものだが、長野県ではとりわけ大切にされてきた。山々に囲まれた地形や厳しい冬の寒さなど、さまざまな自然条件を乗り越え、稲作や養蚕、果樹栽培などの営みを続けていくためには、人々の支え合いは欠かせない要素であり、当然のことであった。
この「結の精神」が長野県の各地で息づいていることは、全国最多を誇る公民館を核に文化活動や奉仕活動などさまざまな住民主体の取り組みが行われていることからもうかがうことができる。
象徴的な出来事の一つが、2014(平成26)年11月に発生した長野県神城断層地震である。北安曇郡白馬村は震度5強の揺れに見舞われ、多くの家屋が倒壊したが、住民たちは日頃からの助け合いの関係を生かし、迅速に救助活動を行った。その結果、甚大な被害の中でも死者は出ず、「白馬の奇跡」として国内外から注目された。
また、2019(令和元)年の台風19号により千曲川流域を中心に大きな被害が発生した際には、被災地で住民同士が支え合う姿が見られただけでなく、多くの県民がボランティアとして復旧活動に参加した。「人ごとではない」という思いを行動に移すその姿に、「結の精神」が今も確かに息づいていることが示されている。
現在、大都市圏への人口流出が進み、特に山間部においては過疎化や高齢化が深刻化している。一方で、近年は新たな生活環境を求めて移住する人々も増え、地域社会に新しい担い手が加わりつつある。こうした状況だからこそ、住民同士がつながり助け合う、相互扶助の重要性はこれまで以上に高まっているといえる。

「心の障壁」を乗り越え、共に生きる

「結の精神」が根付く地域社会では、誰もがかけがえのない存在であり、それぞれに果たすべき役割、すなわち「出番」がある。その考え方は、障がいのある人たちを社会の一員として受け入れ、共に支え合う姿勢へとつながっている。
日本における障がい児教育は、当初は志ある人々による慈善的な取り組みとして始まり、長野県でも同様の歩みをたどってきた。その中でも、伊那市高遠町出身の伊沢修二(1851~1917年)が音楽教育とともに障がい児教育にも力を尽くしたことは、長野県に育まれた価値観の影響を感じさせる。
戦後、1947(昭和22)年の教育基本法施行により、すべての子どもに教育の機会が保障されるようになった。長野県では、障がいの有無にかかわらず可能な限り同じ環境で学ぶ取り組みが、教育者や保護者の努力によって進められてきた。障がいのある人々が地域社会の中で生活していくことを目指す「地域生活移行」についても、長野県では1970年代頃から全国に先駆けて実践的に取り組んできた歴史がある。こうした現場での取り組みを通じて蓄積された経験は、後に国の制度や法整備にも影響を与え、仕組みの面ではそれらの実践を後追いする形で整備が進められてきたといえる。これらの実践は、今日のインクルーシブ教育や共生社会の理念にも通じるものである。
また、1998(平成10)年の長野冬季パラリンピック、2005(平成17)年のスペシャルオリンピックスの開催は、県民の意識を大きく変える契機となった。障がいのあるアスリートの活躍や、大会を支えるボランティアの姿は、共に生きる社会の具体的なイメージを示した。こうした経験は、制度面だけでなく「心の障壁」を低くするうえでも大きな役割を果たしている。

多様な個性が響き合う、これからの長野県

現在の長野県には、多くの外国籍住民も暮らしている。言葉や文化の違いを超え、地域の一員として共に生きる「多文化共生」は、新たなステージに入りつつある。ジェンダー平等の推進も重要な課題である。若い世代、とりわけ女性の県外流出が続いているという現状は、地域の中で自らの可能性や役割を見出しにくいという課題を映し出している。
このように、さまざまな価値観が交錯する時代だからこそ「男だから」「女だから」「障がいがあるから」「外国人だから」といった固定観念にとらわれず、多様な個性が尊重されなければならない。そして、誰もがさまざまな選択肢の中から自らの生き方を選び、可能性や能力を発揮できる環境を創り上げていく必要がある。
長野県の150年の歴史は、持ち前の勤勉さと「結の精神」によってさまざまな困難を乗り越え、新たな価値を取り入れ創造してきた歩みであった。その積み重ねの先には、高齢者が元気に地域活動に参加し、子どもたちは多様な仲間と学び、男性も女性も等しく家庭と仕事に向き合い、外国籍の住民も共に地域を支える存在となる—そんな未来があるのではないだろうか。
たとえ人口減少が進んだとしても、一人ひとりが役割を持ち、つながりの中で生きることができる「みんなに居場所と出番がある社会」が実現すれば、地域は豊かであり続けるだろう。