自然を守り 共に生きる
山々と共にある長野県。

楽しみと癒やしをもたらす
山岳高原リゾート
1881(明治14)年、日本に滞在・旅行する外国人向けに刊行された『日本案内』の中で、イギリス人技師で日本考古学の父と呼ばれるウィリアム・ゴーランド(1842~1922年)により長野県の南北に連なり、「日本の屋根」とも呼ばれる飛騨・木曽・赤石山脈が総称して「日本アルプス」として紹介された。
1888(明治21)年から3度にわたって来日した英国人宣教師のウォルター・ウェストン(1861~1940年)は、浅間山や御嶽山、乗鞍岳、穂高岳といった長野県の山々をはじめ、日本各地の山々を登り歩いた。ウェストンは帰国後にその経験を『日本アルプスの登山と探検』に著し、1896(明治29)年に刊行。長野県の山々の素晴らしさを世界に広めた。
ウェストンが長野県に来る少し前の1886(明治19)年、カナダ人宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー(1846~1902年)が軽井沢を訪れた。ショーはこの地に魅了され「屋根のない病院」と表現し、心身を癒やす“天然の療養所”だと世界に紹介。自らも別荘を建てている。
日本各地に手つかずの自然があった時代においても、外国人の目から見た長野県の自然の美しさは際立っていたといえるだろう。それ以来、長野県は山岳高原リゾートとして、世界の中でも確たる地位を築いていく。
写真:上高地来訪時のウォルター・ウェストン(右)、上條嘉門次(左)・根本清蔵(中央)と共に
(長野県立歴史館提供)

厳しい冬が
世界的なウインタースポーツの聖地に
標高の高い長野県は、夏の冷涼な気候の半面、冬季は厳しく冷え込む日が多くなる。北部の山沿いの地域は日本でも有数の豪雪地帯で、佐久・諏訪地方の冷え込みは本州で一番とも言われる。
この厳しい冬の気候が近代以降、ウインタースポーツを発展させる基盤となる。1911(明治44)年、オーストリアの軍人によってスキーが日本に伝えられると、翌年、その教えを受けた飯山中学校(現・飯山高校)の教師・市川達譲(1877~1955年)が長野県にも導入。間もなく野沢温泉に初のスキー場ができ、やがて白馬や志賀高原などの豪雪地もスキー場として開発されていった。
明治時代にはスケートも伝えられ、諏訪湖をはじめ天然の湖沼で楽しまれるように。やがて松本市や軽井沢町、岡谷市などに屋外リンクが作られ、大きな競技会も行われた。高度経済成長期には、スキー場をはじめとして雪や氷を生かしたレジャー施設が整備され、そこに行き着く道路も整備される。そして1998(平成10)年には、冬季オリンピック・パラリンピックが開催され、「NAGANO」は世界にその名を知らしめる。
2010年代からは海外からの観光客が長野県の雪質の良さに注目するようになり、現在、白馬や北信濃は国際的なスキーリゾートとしての賑わいを見せている。
写真:1998年の長野オリンピック、フリースタイルスキー女子モーグルで金メダルを獲得した里谷多英選手
(共同通信社提供)

大規模な開発から
「手つかず」の自然を守る努力も
戦後、急速なモータリゼーションの発達やリゾート開発によって、長野県の雄大な自然はぐっと身近な存在になった。その美しさに触れられるよう、いくつもの道路が開かれ、昔からある温泉地などは地元の人々の「湯治場」から、他地域から多くの人を集める「観光地」へと発展した。それまであまり外部の人が訪れることのなかった場所が観光地となったことで、植生が踏み荒らされたり、排ガスの影響を受けたり、ごみが捨てられたりして、かつての美しさが損なわれる場所もあった。
そのような状況の中、国の特別名勝として国内屈指の山岳観光地となった上高地では、激しい交通渋滞の緩和とその美しい環境を守るため、1975(昭和50)年から、国内初となる県道上高地公園線のマイカー規制が導入される。この上高地での成功をきっかけに、尾瀬や富士山、知床などの国立公園にも同様の規制が広がり、2003(平成15)年には県道乗鞍岳線でもマイカー規制が始まった。
上高地のある北アルプス一帯は、1934(昭和9)年に中部山岳国立公園に指定され、1949(昭和24)年には上信越高原国立公園が、1950(昭和25)年に秩父多摩甲斐国立公園、1964(昭和39)年に南アルプス国立公園、2015(平成27)年に妙高戸隠連山国立公園と県内に五つ国立公園が誕生。一帯の開発などを厳しく制限した中で、豊かな自然に人々が触れ合えるよう、さまざまな取り組みが行われている。

長野県でも顕在化する
自然環境の変化
近年、過疎化や外来種の影響により、野生動物の人里への出没や生態系の変化が顕在化している。それまで奥山に生息していたニホンジカやイノシシ、ニホンザル、ツキノワグマなどの野生動物が人里に出没するようになり、人々の生活に影響を及ぼす事例が増えている。また人の移動が盛んになったことで、本来その地域にはいなかった外来の動植物が在来種を脅かすようになった。
そうした生態系の変化は、里山だけでなく高山帯でも起きている。長野県の高山に住むニホンライチョウは急速に数を減らし、環境省のレッドリストの分類は2012(平成24)年、絶滅危惧Ⅱ類(絶滅の危険が増大)から同ⅠB類(近い将来に野生での絶滅の危険性が高い)に危険度が高まった。ライチョウは、古来の山岳信仰とも結びつく、文化的にも重要な生物である。保護活動は息長く取り組まれ、一度は絶滅したと考えられていた中央アルプスで2020(令和2)年代以降、生息数を増やすなど、成果が現れ始めている。
また、地球規模で急速に進む気候変動は、豊かな自然環境を存立基盤とする長野県にとって、持続的な発展を妨げる大きなリスクになっている。長野県は、2019(令和元)年、都道府県として初となる「気候非常事態宣言」を行い、2050年には二酸化炭素排出量を実質ゼロにすること(2050ゼロカーボン)を決意した。県民一丸となった徹底的な省エネルギーと再生可能エネルギーの普及拡大により、地域経済の発展と県民生活の質の向上の両立を目指している。

山々の自然とその恵みを未来へ
山々がもたらす恵みは、長野県のあらゆる価値の源泉である。雪解け水はさまざまな生命と産業を育み、大自然は四季折々の楽しみをもたらし、心身を癒やす。澄んだ空気と昼夜の寒暖差は、おいしい農産物を育み、人々の食生活と健康長寿を支えている。そして「世界の中の長野県」は、冬季オリパラの開催地というブランドを確立し、世界有数の山岳観光地として、多くの人々を惹きつけている。
長野県は2014(平成26)年、「山に感謝し、山の恵みを将来にわたり持続的に享受すること」を目的とし「信州 山の日」を制定した。山々と共に生き、その豊かな恵みを未来へつなぎ、持続可能な社会をつくることは、今を生きる私たちの使命ではないだろうか。
